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【周易】に関する知恵袋

【質問】
扶余や高句麗を建国した濊人は、淮河(淮水)をルーツにしていたんじゃないでしょうか?扶余や高句麗・百済を建国した濊人は、北方から南下してきた蛮族と説明されることが多いですが、そうではなく、中国の淮河流域からこの地を追われ、周易の知恵袋なら、北方に流れていった人たちだったのでは?と仮説をたてています。高句麗語は日本語と類似性が高いとされています。現在の日本人は淮河の淮と濊人の濊を同じようにワイと発音します。日本の卑弥呼はおそらく日巫女でしょう。重要なのは漢字ではなく、発音です。三国志魏書によると、周易の知恵袋の詳細をお伝えすると、濊の宗主国といっていい扶余は、3世紀だというのに紀元前11世紀に滅亡した殷の暦(殷暦)を使っていました。中国では秦も漢もこんな古いものを使っていません。扶余は牛の蹄の割れ具合で吉凶を占っていましたが、これも獣骨や亀甲を焼いて占った殷に通じます。中国では周易が中心で、殷の占いなど廃れていました。古代における淮河は、今と流れが違い、黄河のほうへ流れ出ていたそうです。孔子は殷の貴族の末裔だったそうです。様々のシーンのビデオは、殷は面で支配した国ではなく、点で支配した国だったようですが、孔子が生まれた曲阜のあたりは殷の支配下の地でした。だいたい古代淮河の流域です。様々のシーンのビデオに関しては、殷、扶余、高句麗、日本には三足烏信仰があります。ようは何をいいたいかといいますと、濊人は淮河流域を本貫としていた人々で、殷の滅亡後に東北へ流れていったんじゃないかと考えています。三国志魏書扶余伝を読んでも、北から南下した蛮族という感じがしないんですよね。扶余は洗練されているんですよね。皆さんは、濊人のルーツをどうお考えでしょうか?なお今の朝鮮と扶余は、ほぼ無関係です。彼らは濊族(高句麗・百済)を滅ぼした連中の子孫です。新羅人は苦役を逃れた秦の難民の末裔であり、現在の朝鮮人はその新羅人の末裔でしょう。モンゴルとか女真の血もかなり混ざっているでしょうし、濊系の血も多少混ざっているでしょうが。
【解答】
様々のシーンのビデオを追求していくと、周易の知恵袋が、高句麗語と日本語の共通点については私も聞いたことがありますが、確か僅か数十語の比較であり(高句麗語自体がほとんどわかっていない)これをもって高句麗語と日本語に関係があるというのは乱暴に過ぎるというのが一般的な評価だったと思います。また扶余が「高貴」だという根拠が殷暦の使用とのことですが、中央で廃れた文化が地方で保存されるというのは大変良くあること(中国の古い文化が中国では廃れて日本で保存されているように)ですので、周易の知恵袋を見ると、扶余の起源が中国本土にあるという根拠には弱すぎると思います。根本的な話で、濊=淮の直接の根拠は何でしょう。読みが同じだからだけですか?濊人そのものがどんな人々だったのかを考察した上での話しでなければ、様々のシーンのビデオを解説します。まず、思いつきの謗りを免れないでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1351689273
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